2010/12/26

今年一番の思い出「放浪の天才画家 - 山下清展」 (Part 1)

長崎県美術館で開催された「放浪の天才画家-山下清展」に行ったのは今年6月のことだった。ゆっくり見ようと土日を避けて行ったのだが、館内は平日にもかかわらず多くの人で賑わっていた。

 

長崎県美術館

 

山下清展 - チケットただ、この時は夏日で、外は30度を超えるような気温だった上に、美術館内は作品の保全を第一にした温度設定がなされている所為か、館内はけっこう暑く、見ているだけでも汗が出てくる感じだったが、これだけの数の作品を一度に見られる機会もそうそう無いので、2時間程をかけて見て回った。

展示されていたのは、貼絵を始め、油彩、水彩、ペン画、など約200点の作品で、作品の他にも山下清が放浪の旅で実際に使用していたリュックサックや、日記などに残した文章など、彼にまつわる品々も展示されており、とても興味深い企画展だった。そして、何よりも良かったのは、作品の前にパーテーションが置いてなかったことで、人の流れを見計らっては、数センチという距離で食い入るように見て回った。

山下清と言えば、ドラマ化された「裸の大将」でもお馴染みの、純粋さと、傍から見れば一見ユーモラスともとれそうな核心を突いて出る言葉、そして、それらを含めたその人間性にもあると思うのだが、会場には、作品と一緒に、そういった様々なエピソードや語録も綴られており、見て、読んで、楽しめるものであった。

出口にあるミュージアムショップでは、この「山下清展」に併せて制作された画集とミニチュアのレプリカの2点を買って帰ったのだが、中でも、作品が大まかな年代順に展示されていた会場とほぼ同じページ構成になっている画集は、作品と一緒に掲示してあった本人の言葉やエピソードの多くも同様に掲載されているので、再び美術館で鑑賞している気分で楽しめるということもあり、これから「山下清展」に行かれる方にはおススメ。

 

山下清展 - 画集  長岡の花火 - ミニチュア・レプリカ

 

さて、この山下清展、山下清の作品に触れられたことは勿論のこと、山下清という人物像を改めて知ることができたのはとても良かったと思う。誤認していた部分も少なからずあったからね。

例えば、ドラマの影響もあって、作品の多くは放浪先で制作していたとばかり思っていたのだが、実は放浪先で絵を描いたりすることは滅多になく、ましてや貼絵など手間のかかるものは放浪先で制作することはまずなかったであろうと言われていることもその一つ。

ということで、数か月から数年という単位で放浪の旅を繰り返していた山下清が実際に絵の制作を行っていたのは、旅から戻った時で、その大半が、実家や、通っていた学園であったというのが真相だそうだ。つまりは、残された作品にある風景の多くが山下清の記憶の中から導き出されたものだということで、これには正直驚いた。又、このことからも分かるように、実は彼が並外れた記憶力の持ち主であったということも今回初めて知ったこと。

そして、この山下清展では、自筆の日記や手紙なども展示されていたのだが、(失礼ながら)思いのほか漢字が多く使われていたことにも正直驚いたのだった。というか、大人でも書くのが難しいような炬燵(こたつ)、麒麟(きりん)、蜻蛉(とんぼ)、蒟蒻(こんにゃく)といった漢字もすらすら書けていたというから、卓越した記憶力を持つ山下清にしてみれば案外簡単なことだったのかもしれない。

ちなみに、山下清が書く文章には句読点がなく、この理由については「人と話をするときは点やマルとはいわないんだな カッコとも言わないんだな」と、本人の弁が残されており、卓越した才覚に魅せられる一方、何だかこういったところにも不思議と魅力を感じたりもした。

そんな山下清の人物像を知るにつけ、ふと自分はどうなんだろうと照らし合わせてみると、どうも記憶しておきたいことの多くを文明の利器に頼ってしまうことが習慣になっているようで・・・。「これじゃ何も心に残らないよな」と、ちょっぴり反省。

 

 

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