2010/12/28

今年一番の思い出「放浪の天才画家 - 山下清展」 (Part 2)

山下清展 - フライヤーこれほど大衆に愛された芸術家はいないであろうと言われる山下清、昭和31年(1956年)に東京の大丸百貨店で開催された初めての本格的な個展では、1か月で約80万人と云う驚異的な動員記録を残し、その記録は日本美術史上で未だ破られることがない記録として残っているそうだ。

何故、これほどまでに多くの人達が惹かれるのかは、作品も然ることながら、自然体ともとれるその人間性にあるのではないだろうか。そういった意味でも、「芸術家・山下清」「人間・山下清」をキーワードとして、数多くの作品と共に、これまで紹介されていなかったエピソードや資料を併せて開催された今回の山下清展は、そんな山下清の魅力を再発見させられるものでもあった。

放浪の旅を、自らは「るんぺんをしている」と日記等には記していた山下清だが、今回の山下清展で分かったのは、放浪の旅が、実は作品を制作するためのものではなく、純粋に美しい景色や珍しいものを見て楽しむというものであったということ。そして、恐らくはそれらの旅が、お金や食事、宿などの心配を全くせずに行われていたであろうことも。

それにしても驚かされるのは、これらが戦中、戦後(第二次世界大戦)の動乱した時代に行われていたということで、よくもまぁ、そんな時代に方々で食料やお金を貰ったりできたものだと。というか、それ以前に、そんな状況下で旅をしていたこと自体が驚きなのだが(笑)。

勿論、誰もがそう簡単に食料やお金をくれる訳ではないことや、嫌な思いをすることも多々あったであろうことは容易に想像がつくのだが、それでも、結果的には食事にありつけ、時にはお金を貰ったりして旅を続けられていたのだから、やはり、何かしら人を惹きつける人間的魅力があったんだろうね。仮に、自分がこんなことをやろうとしても恐らく無理。2、3件回って断られたらきっとメゲて諦めるだろうし(笑)、というか、そもそも、見ず知らずの人間に貴重な食料やお金をくれるはずがないという思いが先にあるからね。

と、そんなことを考えると、性善説、性悪説じゃないけど、山下清は案外楽観的に、何処に行こうとも助けてくれる人はいるのだという思いがあったのではないかと思うんだよね。

そして、そんな施しを受けながらの旅を続けていたという事実を考えれば、山下清が言うところの「るんぺんをしている」という言葉が本人には実感としてあったのかもしれないね。とは言っても、そんな自分自身を題材に、「夕飯を貰いにいくところ」や、「駅で寝ているところ」といった場景をも絵にしているところを見ると、それらを卑下したり苦痛に感じることはなかったようではある。というか、自分の目には、そんなことも、とても楽しそうに描かれているように見えるのだ。そこに描かれた山下清自身の顔も何となく微笑んでいるように見えるし。もしかしたら、山下清の人間的魅力には、このように体裁というものを全く気にせずに生きていたように見えるところにもあるのかも知れないね。つまりは、本当はそんな生き方をしたいという多くの人達の憧れる姿がそこにあったのではないかと。

 

 

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